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歌詩はこちらを参照ください

偽トノイケダイスケ
あー、遅れてすいません。チャットを開始したいと思います。

残響
はいはいどうもこんばんわー。ではお願いします。

偽トノイケダイスケ
いや、マジで焦りましたわ……

残響
どしました

偽トノイケダイスケ
実はついさっきまで恋想リレーションのレビュー書いていて、あんま盛り上がらないかなーとは思っていたんですが、予想以上に筆が進んで、気が付けば7時58分ですよ!

残響
はははのはw まあテンションというか切れ味の鋭いレビューを楽しみにしましょう。

偽トノイケダイスケ
こっちのテンションは充分上がっているんですけどね。それが今回のネタと関係あるかどうかはさておきw

残響
血は輝いていました(パウル・ツェラン「夜課」)

偽トノイケダイスケ
ツェランもあれはあれで結構エロい人でしたからねー。
最初は「同じ空の下で」とあるエロゲオタバーションを、残響さんが来る前から一人で歌っていようと思っていたんですが、まったく予想もよらない展開になってしまった!

青く澄んだ、日曜のエロゲ、おはよう、誰とディスじゅる~♪

残響
ディスw ケイオスカムヒア
ていうか「誰と」ディスじゅるって言ってる時点ですでに内在するハーレムを予感させる……

偽トノイケダイスケ
義妹に尿を吹かせてみよう~
すぐに服を着替えて~♪

残響
ひどい。率直にいってひどい。

偽トノイケダイスケ
でも、僕がこの曲を聴き始めたあたりは、そんな感じで聴いていたんですけどねー。
別にギャグとして聴いていたわけでは無いんですけど、なんかこうそういう替え歌が自然に思い浮かぶような感じで聞いていたナーって言うのが、まず最初の思い出としてある。

残響さんは、だいたいこの一週間くらい、何回くらいこの曲を聴き直しました?


残響
I'veは愛撫だというネタが今はどれだけ通じるのか的なゼロ年代今は遠くなりにけり。

そうですねー……諸子百家が大体1.5日に一回ペースだったので、それ書いて一日の終わりにかける、って頻度ではありました

偽トノイケダイスケ
だいたい7回くらいですか。

残響
そうですね。ただ、一度かけるとなったらリピートするので、正確には15回くらいかもしれません。それよりも脳内リピートのほうが多いかも(最初からそういえと)

偽トノイケダイスケ
あー、僕はあんまリピートとかしないんですよね。
この手の曲は、なんだかリピートしたら、間抜けに聞こえちゃいそうなところがある。一回の曲の中で振り切り落としたものを、それをもう一回拾わせているようなバツの悪さはある。
まぁもともとあんまボーカルソングを聴かない人間なので、そこらへん慣れてないだけかもしれないですけど。

残響
わりとどうでもいいことを言えば、最近オーディオインターフェイスを導入して、オーデオマスターこと某レイシアさんにオーデオ沼に誘われている昨今、この曲をまた新たに聞きなおしている面はあります。
間抜け、の点はわかるような気が。鳥の詩を何回も聞けるか、と同じような。……ただ僕の場合、この曲、センテンス単位で切って聞いてるようなところが多くて。歌詩をひとつひとつある情景なり感慨なりに当てはめて聞いてるというか。同じことは「カタハネ」のED「It's just farewell」「memories are here」でもいえるのですが

偽トノイケダイスケ
僕はこの一週間くらい、まぁせっかくの機会なので、この曲を結構よく聴いていた色んな場所にまた行ってみて、そこでこの曲をもう一回聴いてみたりはしたんですよ。

残響
ほほう

偽トノイケダイスケ
まず基本的には秋葉のエロゲショップとか秋葉周辺ですね。んでその次は、結構時代が跳んで、臨海副都心のその時の職場の近くとか、その夜勤明けの電車の中とか、
だいたい、それだけで交通費代1000円くらいぶっ飛んでますねー。これ、経費で落ちるのかなw

残響
経費ww

偽トノイケダイスケ
そうやって、自分なりのいろんな各時代の各場所で、もう一回この曲を聴いてみると、感動とかそう言うレベルとはちょっとずれた、自分なりの聴き方を改めて振り返ってしまうようなところがあって……
うーん、まぁ一言で言うと、自分も年を取ったなぁとは思いましたよ。作品に対して、昔みたいに「自分なりの思い入れ」を直接ぶつけられないようなところがある。その「自分なりの思い入れ」の履歴がわかってしまうと。

残響
わりと前のチャットで、この曲押し付けてしまったかなー、という感じも、最初はもっていたのですが、そこまでしていただけると、ああ少なくとも間違ってなかったのかなー、と

偽トノイケダイスケ
まぁ自分なりに気になっていたことではありましたからなー。ちょうど良い機会だってことで。

残響
「自分なりの思いいれ」……ですか。「俺は好きなんだ!!!!!」でひとことでいえない、
……というか、何か間に挟まった感じに聞こえるのですが。
履歴というのは?(文字面だけで想像できるのとまた違ったものがありそうな感じがする)

偽トノイケダイスケ
いや、わりとそのまんまの意味ですよ。>履歴
つまり、ある時のある場所の自分はこういう思い入れでこの曲を聴いていたけど、別の時と別の場所では先のとちょっと違う思いいれで、この曲を聴いていたみたいな……
自分とその曲の関係性が「履歴」みたいにわりとクリアになってしまうところがあるということ。
もちろん、普通の人だってそういう曲と自分の関係生くらいは、自分のなかではあると思うんですよ。でも、それが「未だに生きているか」それとも「履歴」として眺められてしまうのか?っていう違いですかねー。

残響
ああ、ああ、はい。わかりました。極端な話(極端でもないですが)、自分が仮に主人公だとしたら(あんまり「人生の主人公」ちう言葉は使いたくないですが)、その場のBGMとして固定されてしまった感、とも似ていますかね? 情景と音楽との固着というか
……うーん、わかった、といってる残響ですが、これ難しいな。自分の中ではわかっている感覚なんだけど、「履歴」でいいか、ということも常日頃考えていることなんだけど……

偽トノイケダイスケ
そうですね。今現在「固着している」つーよりも「昔の固着していた感覚を思いだしてしまう」みたいな感じですか。自分のなかの固着を結構離れたところから見てるような距離感。

残響
……そうですね、この「固着」って、ひどく身体的なものだと思うんですよ。あるとき花の香りをかいで、おもっきし幼少期のころを思い出したり、みたいな。それも「離れたとこから見てる」感覚だと思いますが
……リルケの文章で確かそんなのがあったな……

偽トノイケダイスケ
もっとシンプルに言えば、昔の自分はこの曲のこういうところが好きだったんだよなー、んで、その好きな理由はたぶんその頃のそういう環境が原因だったんだよなーって、いうのがクリアになってる感覚ですね。
だからといって、別に今現在この曲を聴いて、なにか恥ずかしいって思っているわけでも、冷めているわけでもないんですけど、昔とおなじようには聴けないなーってところはある。

残響
善悪・好悪でわけるのもまた間違い、大いに間違いですが、しかし大雑把にいって、偽マルセルさんにとって、その履歴感覚(今という観点からとってみたときの)は、どうなんでしょうかね?

偽トノイケダイスケ
ああ、そういうクリアに聞こえてしまうこと自体が良い悪いか?って話ですか?

残響
いや、正確にはクリアに聞こえてしまっている「現状」、そして「現状から見た過去」、ぷらす「過去の中に固着した曲」を、善きものとして捉えられておられるのかな? ということです。(一気に三点も論点をふやすな!)
話を先回りさしてしまうようですが。
クリアに聞こえること自体は、僕にも……少々経験はありますし、それを否定したら自分自身のなにかが崩れるような気もする。
もっとも、否定はしたくない、といっても、自分の場合、底抜けに肯定できる類の感情でもないのですが。このクリア感は。
……いかんいかん、残響は話を先走りして聞こうとしている。まず偽マルセルさんのお話をお聞かせ願えませんか? 先の続きというか(聞きモード

偽トノイケダイスケ
うーん、クリアに聞こえる現状はいいとしても、「現状から見た過去」と「過去の中に固着した曲」は僕の中ではあんま変わらないんですけどね。もちろん、その曲を聴いていたその時の自分の人生と、その曲を聴いている自分の思い込みはベツモンだと言えばそうですけど、「その曲を聴いていたその時の自分の人生」みたいな大問題をここで振り返るのも何ですし(苦笑
いやまぁ基本的にはどこかで繋がっている話ではあるんですけどね。

残響
確かに大問題をここで振り返るのもなんですね……「え?今このタイミングでかよ!」みたいな

偽トノイケダイスケ
まぁそこらへんがこの対談企画の醍醐味であるとは勝手に思っている自分もいるんで、あまり深く考えないで行ってみましょうか!

残響
ウス! いきましょう!(どんな風に転がるんだこれ

偽トノイケダイスケ
ここらへん、別に厳密に調べたわけじゃない僕の記憶語りなんですけど、この「同じ空の下で」ではゼロ年代前半の秋葉かなりヘビーローテーションだったんですよね。

残響
そこまでお聞きになられてたのですか。

偽トノイケダイスケ
WIKIの説明によるとこの曲が主題歌である「家族計画」が出たのが2001年11月2日ですから、そのOPといっしょに流れていたと思うんですけど、結構息が長くて、というか店内で流すエロゲのOPにはもう「定番」見たいのが決まっていて、

残響
D.O.がまだ生きていた時代や……

偽トノイケダイスケ
僕の記憶が正しければ、たぶんゼロ年代の半ばまではこの曲がエロゲ屋では流れていたと思うんですよ。まぁ僕が頻繁に秋葉に行かなくなったのもそこらへんのゼロ年代半ばですから、それ以降はどーなったかあんま自信は無いんですけど。

残響
今僕もwiki見てみたら、PS2版が2005年初頭に出てますね。だから流れているのは然り、と思います。PSP版が出たのが2010年ですから

偽トノイケダイスケ
あーコンシューマ化でリバイバルつーのはあるかぁ。

残響
「そしてまた家族計画を」が2004年ですね。だからなんだかんだで連続しているタイトルだとはいえそうです。

偽トノイケダイスケ
まぁそんな調子で秋葉で小二時間くらいぶらついていれば、この「同じ空の下で」が聞こえるような環境があったわけですね。
だもんで、だから僕にとってこの曲は、良いとか悪いとかそういうこと以前に、ある時代のある場所で「当たり前のように」流れていた風景のような曲っていうイメージがあって、
もちろん、良いか悪いかって話になったら、そりゃ良い曲だなぁと思って聴いていたのは事実でしょうけど、その良さをいちいち噛みしめるものでもないようなものとして「気持ち良く聞き流していた」ようなところはあるんですよね。
もちろん、そこで当時の思い出とか聴き方を思いだそうとすれば、いくらでも色んなことは言えるわけです。その当時の自分の秋葉の行動には、たいていこの曲が後ろでは掛かっていたんですから、そこから、良い記憶も思いだすこともできるし、悪いことも思いだすことが出来る。それこそ、歌詞と曲の連想から。
あおく澄んだ、日曜の朝、ってところでエロゲ屋の大トイレに行ったら、男性用トイレなのに女性が入っていて、リアル性器を見ちゃった話すらも出来る(苦笑

残響
いまサラリと爆弾が

偽トノイケダイスケ
もちろん、ノックしない自分が悪いんで「あ、すいませんでした!」と急いで謝って逃げましたけどね。こりゃもう窓辺に花を咲かせるしかねぇなぁと。

残響
今、君に恥じぬように頑張ろう(意味深)

偽トノイケダイスケ
でも、外に出てみれば、それはやっぱり穏やかな雲が流れていたりするんで、そこで少しだけ心は軽くなったりもするわけですよ。
わりと冗談ではなくて、けっこう汎用性の高いフレーズが溢れているんですよね。世の中の色んな体験や風景や自分の考えに、この曲は勝手に当て嵌まってしまうところはある。さくらんぼキスはそうは逝かない(笑

残響
久しぶりにこの曲のPV見てみたら、いろいろと「無  理  す  ん  な」という感想がまず出てきたであります大佐……
まあそれはともかく、「汎用性の高い」は仰るとおりですね。というか自分はこの文言をいっていいのか悩んでしまったところではあります

偽トノイケダイスケ
あ、うえの残響さんぐろPVは対談じゃカットね。

残響
了解っす。トイレは消さないのに!w

偽トノイケダイスケ
トイレは重要ですよ。同じ空の下にいるのと同じくらいの可能性で、同じトレイにいる可能性だってあるんですから!

残響
もっと……大きな愛を……!

はい、で、お話しの続きを……

偽トノイケダイスケ
別に汎用性の高いっていうのは悪口ではないと思うんですけどね。汎用性が高いだけの言葉を散りばめているだけで、作品としての方向性がない曲と、汎用性の高い言葉が、微妙な矛盾や陰影を伴いつつ、ある種の方向性を目指している作品は違っていて、少なくともこの作品は前者ではない。

例えば、歌詞だけで言えば、「問いかけて、見上げる一瞬に」ってところ。
たぶん、さっきの秋葉時代で、僕がこの曲に一番感じていたのは、この部分なんですよね「問いかけて、見上げる一瞬に」ってところ。
別に秋葉自体にオタ友人と議論しながら「問いかけていた」わけじゃないっすよ(苦笑)。たいていは一人でプラプラしていましたから、特に問いかける相手なんていないと言えばいない。
でも、まぁその頃は20代でしたからねー。頭のなかでは色んなことを考えたいたり、やくざなことを「問いかけていた」りしたわけですよ。そんなことを考えながら抜きゲやらエロ同人やら中古CDやらを見ていたりするときに、この曲が掛かって「問いかけて、見上げる一瞬に」自分の好きなエロゲと視線が合ったりすると、決してそうひとりじゃない夢があるんだなと思えたりするようなところはある。

でも、これは曲全体の歌詞からすると、けっこう無理にカットしているところはあるんですよね。
一般的な連続的な読み方をすると、この歌詞の「問いかけて、見上げる一瞬に」というのは、その前の歌詞から続いてる状況の連続を語っているわけでしょう。物語的に言えば、あるヒロインが昔のことを思いだしながら、その昔の相手に「自分と同じ曲を思いだしているよね」と「問いかけて」から今の「空」なりを見上げている。

残響
そうですね、「~ね」と、”問いかけて”いる。前のフレーズが。……ああ、そう考えると、不思議ですが、まるで倒置法のように「問いかけて」が、ポーン、とこっちにいきなり投げかけられるような感じもする。
「問いかけて」以下のリリックが唐突にこっちに現れてくる、みたいな

偽トノイケダイスケ
僕のさっきのような感じ方は「問いかけて、見上げる一瞬」というのを、先のヒロインが「体験したなんらかの過去の一場面」のカット回想として捉えているようなところはありますねー。まぁ別に厳密な解が必要な曲では無いと思いますけどね。

残響
ひどく映像的な曲、歌詩だな、と思います。散文的でも、叙述的でもないのに(散文的、叙述的が、イコール映像的と結論するのも安易ですが)、それぞれのセンテンスも、全部を通して聞いたときも。
そして映像的、というのも、各々の心象風景がありますから、もちろん「解が必要」ではないのですが。

偽トノイケダイスケ
個人的には、わりと安定した風景的な歌詞が少しずつ感情を高めていきながら、ここらへんはもうKOTOKOさんの歌唱力と言うほかは無いんですけど、さっきの「問いかけて~」みたいなところで、こちら側に胸ぐらをつかむようなところが、秋葉時代の自分は好きだったのかなぁとおもう。

残響
結構バックがキャッチーなキラキラ系のアレンジしてるのですが、最終的にこっちにくるのは何か、というと、KOTOKO氏の歌唱のエモーションですね、この曲。

偽トノイケダイスケ
基本的には、別にそれが悪いって話ではないんですけど、わりとナルシスティック&ノスタルジックなトーンが全体を占めているんですね。でもそこに「問いかけて、見上げる一瞬に」とか「もっと、大きな愛を」とか「風を、つよく」みたいに自分のモノローグ的な閉塞感を打ち破る強力なエネルギーをKOTOKOさんが歌うと、そこに一瞬だけ何らかの亀裂が入る。当時の僕はそこが結構好きだったんだよなぁとは思いますね。
逆に言えば、その頃の僕は、それ以外の部分についてはわりと聞き流していたかもしれないですねぇ。雑踏の中で聴いていたんでサビの部分しか印象に残らないつーのはあったかもしれませんが。

残響
なるほど……さっきから自分は分析的なコメントばっかりしてますが、うーむ、やっぱり「人の思い」に対して、単なる分析っていうのはつまらないなw
……ときに、そしたら、「今」はどうなんでしょう? 今、どうお聞こえになられるのか……

ちなみに、ナルシスティック、というのは、今言われてはじめて気がつきました。言われてみれば。ただそれを突き崩すほどの、「ここで終わらない」感がすごいする。「ここで終わらせにしないぞ」感というか
「Last regrets」がどこかで「淡く、消え去ってもいい」みたいなところがあれば、この曲には、ほんとに「踏ん張る」ってところがある。 

偽トノイケダイスケ
絶妙なところで踏ん張ってますよね。


君の声、聴きたくてとった受話器、
でも今はまだ繋げないね


なんて凜々しくて良いじゃ無いですか。最近のオタは自分からブロックした相手を非ログイン状態で見て、そのツイートを引用RTにして相手に伝えるみたいなゲスを平気でやりますからね~。この曲のヒロインの垢を煎じて飲むべきですよっ!

残響
そこでそのネタに繋がりますか!?w
ツイートで繋がる僕らのセカイ、そこにロマンはあるのだろうか!!??(某サンホラ

偽トノイケダイスケ
いや、そういう繊細ゲスと繊細萌えの絶妙なところで踏ん張っているのが良いんですよ。一歩間違えれば、さっきみたいな繊細ゲスの暗黒面に堕ちそうなヒロインではありますし。

残響
まあそうすね。なんか「危うい」ヒロインではある。……そうだ、これは家族計画の歌であった

偽トノイケダイスケ(
それに、そう簡単にツイートみたいに繋がってしまったら、このヒロインは幸せになれるかもしれないけど、崇高ではないですよね。まぁ本当に幸せになれるのか?ってゆったら、ツイ廃人になっていそうで、やっぱりこうやって踏ん張って自分と相手の自尊心を高めたほうがいいんじゃね?って気もしますが。

残響
ツイ廃人になったら「同じ空の下」にいた「君との約束」を反故にしちまうことになりますからね。……もっとも、下衆になるということは、約束も生ゴミ三角コーナにぶち込むことでありますが
「同じ瞬間同じ空の下」で「嘲笑っている現在」も選びようがあるんですよね、人間。結局ひとはいかに「約束」を磨き続けるか、でしょうか。
孤独の崇高さという価値は、このSNS社会の暗黙集合意識に、覆い隠されている。

偽トノイケダイスケ
この手の人はゲスになったらなったで、そのことに価値を見出しそうなタイプですからねー。自分のなかで勝手に「ヤクソク」を自分の都合の良いように解釈したり、あるいはゲスであることに価値観を見出しちゃったりするようなタイプですので、KOTOKOさんのそっち路線の歌の名作がしりたいところですなー。

孤独云々の話を謂えば……
今は別に孤独な人だって、その手のクラスタでわりと馴れ合えるという意味では、まぁその手の人にとっては良いことなのかもしれないし、別に孤独であることが崇高であるとは、僕には思えないけども……
ただ、やっぱり「安易に繋がってしまうゲスさ」っていうのは何処かにあるんですね。それは「安易に現在だけに繋がってしまうゲスさ」とでも言い換えても良いかもしれない。

残響
孤独=崇高、と言うのも安易な図式でしたが、まだ自分は孤独の中にある「踏ん張る」的何かに価値を見出したくはある。だから孤独のなかで何を紡ぐか、なんですが。「俺孤独(ドヤァ」は十分に中2といっていいでしょうし

どうも世間の「絆」ブームに違和感を覚えてしまうのは、絆が人をゆがめたり、壊したり、ゲス化さしたりする、というのをガン無視しているとこなんですね。しかし「安易に現在だけに繋がる」って、それどこのビッチ 

ときに、KOTOKO氏の歌をすげー知ってるわけではないので、ゲス路線ちうんで挙げられるのはこれくらいですが

 まだ絶望度、ゲス度がたりない……!

偽トノイケダイスケ(
先のKOTOKOさんの曲、もしかして伝説の主人公スルー百合アニメの主題歌ですか?

残響 
ED(エンディングテーマ)でございます。主人公ED(勃起障害)じゃなくて。あれすごかったなぁ……
ちなみに、アレの原作漫画版では、もうひとりのヒロインが、しっかり異物をメインヒロインのアーンに挿入だぜ! レイープだぜ! ちくしょう!(当時から百合者だった残響

偽トノイケダイスケ
ううむ、逆に某巫女の内容が気になり始めてしまったので、ここらへんで路線転換を……

残響
替えましょう替えましょう路線を

偽トノイケダイスケ
まぁ安易に現在だけに繋がっては良いのは、というか、そんなことが本気で出来るのは、イチャラブエロゲですからねー。

残響
イチャラブエロゲでもエピローグはあるというのに……

偽トノイケダイスケ
どのみち普通の人間どうしの間には、何らかの距離感があるのは当たり前だし、だから一斉に繋がるような場所を求めるつーのもわかるんだけど、だからといってその「絆」が完璧に実現されるでもなくて……
だから、そこで一端は離れてみたり、自分の求めるモノは何なのかとか考えたりはするんですよね。海原シナリオでも、ときたまほんの少しヒロインとの距離が開いてしまうように。でもSNSだと、その「間」が意識されないつーのがありますよね。

この「同じ空の下で」っていうのは、そのヒロインの「現在と未来の間の距離感」とでも言えるようなものを上手く表現していると思う。

残響
むしろ「一旦ははなれてみたり」「求めるものはなんなのか」考えてみたり、「「間」を意識したり」することが、もう怖い……というか「気持ち悪い怖い」みたいな間隔、もとい感覚なんでしょうね、「現代/テン年代的感覚」って

偽トノイケダイスケ
本当にそういう感覚があるのか、ないのかって話と、単にそういう感覚はSNSやらでは表現しにくいのか、どっちなのかはわかりませんけどね。

残響
「同じ空」の感覚か……。クサい台詞ですけど、「信じているから、同じ空の下にいるという確信(あるいは、確信を持とうという意志)が持てる」ちうことなんでしょうね

感覚がまるっきりない、とは言いませんけれど、今のSNSは基本そういう感情を「表現しにくい」のをもとにして、「いかに隠蔽するか」っていう話はよく聞きますけどね。アンチSNS論で

偽トノイケダイスケ
これはエロゲオタというかイチャラブスキーとしては、けっこう悩ましい問題なんですけどね。今はこうはいっているけど、イチャラブエロゲでそういう「距離を置こう」みたいなシナリオがあったら、僕はそれはそれで結構怒るのは確実だ(苦笑

残響
ああ、それは確かに(笑)
仮に「電話やメールでいちゃらぶるぜ!」となっても、ネタは尽きますからね。あとは妄想オチにならざるを得ないんですけど、妄想オチでエロゲーマーが満足するんだったら、だったら……!!!(憤怒
回想シーンを「あ、夢/妄想ですた」で埋めるんじゃねえ! 星メモEH姫榊姉妹パイズリのことだ!!(ネタバレ


偽トノイケダイスケ
妄想ネタ批判で言うなら、恋想リレーションに負けるモノはありませんぞ(対抗!
 
これを更に突き詰めると、前にも残響さんとも議論しましたけど「イチャラブだけのシーンのエロゲ」っていうのは、原則的には成り立たないんですよね。だからイチャラブエロゲだとしても、そこには何らかのパースペクティブが必要になるとは言える。でも、あまりにも離れすぎると、それはそれで困る。

残響
なんか妄想ネタあるんじゃないかと思っていた恋想リレーション……!w 

ああ、そこは自分が考えを変更したところです。考えてみれば、パースペクティヴなきイチャラブというのを、僕はものっそい批判してたところです。あの「イチャラブ×シリアス」の論議は、自分がなぜか、なぜかそこを忘れていて、ダメシリアスをヘイトするんでやっきになってたというか。近視眼的になってたのは認めます。

偽トノイケダイスケ
いや、別に駄目シリアス批判つーのは「その時の感情」としては正しいんから良いんですよ。実際に「単に自己満足気味に離れてるだけの別離展開」って言うのはあるわけだし。
ただ、そういう駄目な別離展開と「同じ空の下で」的な繋がりをいっしょにするのは不味いんじゃね?って話でしょうなぁ。エロゲ的に言えば、駄目な別離展開がきほんヒロインの婚約展開であるのに対し、良い距離感つーのは、夏めろのつぐみ様エンディングですね。
「同じ空の下で」ではなく「おにーちゃんの同じ精液を中に!」

残響
考えてみれば「すげえイチャラブ」は、別離していても、なんか信じられますね。ライターも、ヒロインも、主人公も、まわりのひとも。その反対が……あの婚約展開ってすっげえいろんなものを「信じられない」。
そういえば某所で「イチャラブゲーなんて甘っちょろい! シリアスを踏まえてこそのエロゲーマーよ!」という「い、今更!?」な論議があったんですけど、結構このシリアス信仰っていうのも根強い。そのシリアス信仰は、場合によっては「同じ空の下で」的な詩情、詩的精神を黙殺する傾向にあるような気も
婚約展開ってのは、恋愛物語において「超展開」じゃないんですよね。可能性があるっていえばある。あるだけに、「なんでその可能性、世界線選ぶねん!」って思いもある。
展開……というか、展開を保証・担保する「感覚」というか。そう、イコールで「距離感」なんですが。だから「超感覚」には感情移入はできない……竹井10日のゲームであっても(いや、竹井10日の「恋愛感覚」は、骨格はひどく純粋で直情ではあります)

偽トノイケダイスケ
まぁ別に甘っちょろいってだけでイチャラブゲーが嫌いな人は、それはそれで正当だと思うので、鼻クソみたいに塩辛いシリアスゲーでもやっていれば良いじゃ無いですかね。世の中には塩味が好きな人もいますからね。

残響
それはパッケに「甘くて切なくてちょっぴりしょっぱい思春期百合AVG」と大々的に書かれた「カミツレ」のお話しですね?w(自分で買ってプレイする世界線選んどるやん
 
この場合の感覚、は、ヒロイン自身の感覚であり、ライター自身の感覚、でありますが。先のゲス話にも繋がってしまうのが悲しいんですけどね

偽トノイケダイスケ
まぁなんだか物わかりの良い態度を取って申し訳ないんですけど、ある意味でそういうゲス話がリアルと言えばリアルなので、そこに共感する人って言うのも結構いるとは思うんですよ。そういう意味で言えば「同じ空の下で」だって、そう言う部分は多少はあると言えなくもない。

これは別にポップスでは在り来たりな曲想なのかもしれませんけど(あんま詳しくないんで間違って突っ込みヨロです)この曲の終わりの部分は、どちらかといえば今までのボーカル部分を不安定にやんわりをつけるように閉じられていきますよね。
それはもちろん、この曲のボーカルで語られた感情が現在進行形のモノなのだから「未来がどうなるかはまだわからない」という意味では正しいとは思うんですけど、そういう感覚と同じくらいに、全てはもう過去の良い思い出なんだよ?とゆったようなノスタルジックなトーンも感じるようなとこもある。なにかボーカルは全体的に前に進もうとしているのに、伴奏が妙に後ろ向きなところがあるんですよね。
この曲が名曲と呼ばれているとしたら、たぶんそういう「後ろ向きな」解釈も充分に許容するようなところだとは思うんですよね。 

残響
このコード譜を鵜呑みにすれば、基本的な明るめのコード進行なのに(前にすすむ)、終わる部分を全部Em(イーマイナー)でやたらと伸ばすふうになってます

偽トノイケダイスケ
あー、コード譜まで持ち出してきたぞ! すげぇ流石は作曲家の残響さん!迂闊なことはいえないぜ!

残響
趣味作曲はすげえ素人、鼻歌レベルですんでマジでマジでw

ところどころで、伴奏妙に落ち込みますよね。仰るとおりです。コード的にいったら、マイナーコード入れて、途中で「揺らして・落ち込ませて」展開作る、って傾向はあるんですけど、この「揺らして・落ち込ませて」のところが、妙に耳に残る。
間違っているかもしれませんけど……この曲って、長調(メジャー)と短調(マイナー)を繰り返している……というか、短調になっても、「踏ん張って」半ば強引に長調に復帰するような傾向がある。長調と短調の強引な復帰だけで曲作るのって、ムズいんですよ。簡単に素人っぽくなってしまいますから。けど、この曲は素人っぽさがぜんぜんない。
恐らく通常のポップス進行だとしたら、この長調パートと短調パートの間に、「もうちょっと明るめの短調」を入れると想うんです。(それがいわゆるドミナント進行)。けど、譜面見る限りでは、そのようなあいまいさがあんまりないというか……うーん、素人判断で申し訳ない 

偽トノイケダイスケ
なんだかイチャラブエロゲ……とまでは言わなくてもまぁ青春系の明るめエロゲなのに、BGMは妙にノスタルジックって感じの雰囲気なんですよねー。

残響
明るい、は基本的に正しくて、エンディングも明るいんですが、なんか後ろ向きな解釈もある。というか「後ろ向きな解釈を入れないと嘘になる」というか

偽トノイケダイスケ
順当な解釈をすれば……

基本的には過去の思い出から始まっているんですから、昔の記憶を思いだしてるようなセンチな短調が入るのは自然だし、そこから前向きな感情が溢れ出したところで、曲のサビの部分では、それが前向きな感情を確保するものであったとしても、それはやっぱり「昔の記憶の一断片」だったり、そこから歩き出すにしても今はまだ存在しない「未来」なわけで、確実なハッピーエンドではないわけです。最終的には不安定な希望とその不安定な希望を確保するノスタルジックな昔の思い出が残るしかない。その状態は、解釈しだいでは前向きにも取れるし、後ろ向きにとれてしまう。

残響
なるほど……「残るしかない」
なんか「花発多風雨 人生足別離」の井伏鱒二訳、「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」の境地っすね

偽トノイケダイスケ
個人的にはそこらへんが、けっこう微妙なんですよねー。僕としてはポジティブな方の解釈を取りたいけど、でも、僕もけっこう年を食ったんで、現実的にはこの曲をそういうノスタルジック解釈として「切り分けている」人の方が多いだろうなぁと思うし、僕もそう言うところは否定できないところはちょっと辛い。まぁだからといって繊細ゲスを許すわけにはいきませんが。 

あんま詳しくないけど、この曲にはオルゴールヴァージョンとかもあるらしいじゃないですか。だとしたら作り手としても、そっちのノスタルジー解釈にけっこう引き摺られているなぁともおもう。
ただ、音楽作品……というか、これはフィクション全般について言えることですけど……
この曲がノスタルジックに終わるものであったとしても、だからといって自分がそのままノスタルジックに浸れるのか?っていうとそうでもないですよね。そのエンディングが自分にとってのその作品の全てを規定しているわけではない(作者はそう思いたいでしょうがw 

残響
まあ僕としてもポジ解釈をとりたいですが、今回この曲を偽マルセルさんにお勧めした経緯というのが、「歌詩ひとつのセンテンスを切り抜いて」「過去を眺めつつ、今の瞬間を肯定する」ので使いましたし、諸子百家やってる最中にこれ流してる(脳内でも)のも、ノスタルジィがないといったら明らかな嘘になる。ノスタルジィの中からも、何かを見出す……違うな……「あの瞬間、そして今でも色あせないもの」を切り取りたい、と言う意識……ってそれノスタルジィか。 

……そうですね、浸るのはラクですが、それって俗流センチメンタリズムですし
 
偽トノイケダイスケ
この曲は一方でそういうセンチメンタリズムに引っ張りがちな伴奏がありながらも、その伴奏に時としては同調しながらも、時としてはその伴奏に調和しながらも、なおかつそれを乗り越えるようなボーカルがある。そのボーカルはこの曲が終わったあとも、時としては曲全体の文脈を超えたところで頭のなかに残り続ける

残響
……文脈を越えたところで頭のなかに……うん、そうだ……
そうでなかったら、あのときこの曲を引用する際において、自分が「引用するのを迷わなかった」理由にならない……

偽トノイケダイスケ
「もっと大きな愛を」とか「君の目に届くように、風よ、つよく」とか、ここだけは言葉や感情が飛躍していますからねー。
少なくとも、僕にとってこの作品の今現在の価値は……って、これ、よく考えたら、あんま昔と変わっていないですね実は(苦笑

残響
でも、価値は変わってなくても、価値の見方というか、味わいというか。それは変わっているかもしれない。あたかもプリズムや、富士の峰が、輝度高度は変わってなくても、見え方はかわるように……なんて、わかったような口をたたきますけど
まあ僕が言わずもがな、ですけど。それは先の偽マルセルさんが仰っていたことでありますし(そう、引き写しというやつであります
 
偽トノイケダイスケ
比喩的に言えば、むかしは一直線で進んでいたのが、今は回り道ルートを覚えたくらいの変化ですかねー。回り道をしなくちゃいけないってところが年老いたのかなぁとは思っていたけど、結局はその山から見える風景が好きだってことはあんま変わらなかったわけで。

残響
この場合、一番怖いのは、過去の自分を裏切っているかどうかなんですよね

偽トノイケダイスケ
別に僕は大した約束なんてしてもないし、現実的であれ理念的であれ「キミ」と言えるような相手も特にはいないんですけどね(苦笑

残響
はははw でも山から見える風景がすき、と仰っているのは、なんかわからんのですが……なんかほっとしてます。
――10年、ちょっといろんなことがありすぎました。

偽トノイケダイスケ
さらに言えば、昔の自分がそんなに良い人間だとは思っていないし、そこから成長しないつーのもアレだとは思っているけども、自分のそれなりに思い出に残っている曲の大切な部分が、昔と変わらないことが、わりと理性的に考えても、今でも充分に肯定できるつーのは、やっぱり良いことだなぁとは思いますね。
まぁ僕の場合、エロゲの評価も昔とあんまし変わってないんで、やっぱり成長していないだけつー可能性が濃厚ではありますが。

残響
キャプテン・ハーロックは「地獄にもっていけるのは、汚名だけだ」といいました。しかし「まおゆう魔王勇者」の橙乃ままれは「やがて行く闇の中には思い出の他には何も持っていくことが出来ないのだから」といいました。……ここから飛躍しますが、人生は予期せぬところで「復讐」する場合っていうのがあります。人生そのものが自分に対して。そのときに持てる灯火っていうのが、たぶんこの「曲の大切な部分、理性的に考えても今でも充分に肯定できる」ってもんじゃないのかなぁ、と
ああ、この場合、復讐というのは、偽マルセルさんのアレコレを詮索してとやかく言うのではなくて、あくまで残響の実体験です。

偽トノイケダイスケ
残響さんの復讐体験はキツそうですなぁ。

残響
しかしまあ……成長しているか、といったら、自分も自信ないです。より正確に表現するなら「多少マシに見えないこともない」……これでもまだ過大評価かも。ただ、成長の有無に関わらず、たぶん何かを「生み出して」いかないといけないんだろうな、とぼんやり

偽トノイケダイスケ
ここらへん、もちろんフィクションをそうマジに受け取る必要は無いっていう議論も正しいし、僕だって別に倫理的にフィクションを消費しているわけじゃないんですけど、ただ、そういうレベルが何処かに無いと、フィクション消費が悪堕ちするようなところはありますからねー。フィクションを純粋と向き合うことはできないけど、かといって、その純粋さを完全になくしたら、フィクションそのものに価値がなくなってしまうようなところ。

残響
こんなことをいうと「生み出していない人間には価値がないのか!?」って弾劾がくるんですけど、僕は……今の僕はそれに対して「どうだかねえ」と答えるしかないです。結局は個人・本人の問題ですけど。ただ、何回も自分の自説として各所で腐るほど言ってるんですけど、自分は「死ぬときに後悔だけはしたくない」、もっといえば「死ぬときに後悔うんこまみれになる可能性を、なるべく減らしておきたい」って具合で。……とまあ、えらそーなことをいってますが、結局まだ病気は全快はしてないですからねー

どこかに……センスオブワンダーの純粋さ、が穢れないように、というのはありますね。そこをスレてしまってはいけないのだろう、と 
結局そこが、「同じ空の下で」的な「踏ん張る」「凛とした心」なんでしょうね。悪堕ちする可能性はあるし、可能性自体の存在ゆえに、自分や、人間存在全般を悪と断ずるロジックもある(性悪説がそれです、あと結局はホッブズの理論もそれかなぁ)。ただ、「人間には善性を成し遂げようとするからこそ意味がある」というたのは……ええと一杯居るなw まあその筆頭がキリストでしょうか。

偽トノイケダイスケ
そこらへんが、もしかしたら残響さんが五体投地でけっこう繰り返している、オタクとしての善生は「残すことである」って話しに繋がっているのかもしれませんね。そして、それがこの曲「同じ空の下」のように、だけどその希望は不安定で、その希望を支えるのは結局のところエロゲというフィクション、またはそのコミニティでの「思い出」であるということでしょうか。

(次回に続く!)