tyouraku2

modernclothes24
皆さん、スマホアプリゲームで最近TL……エロゲクラスタというよりは、twitter全体で流行った「ひとりぼっち惑星」ってご存知ですか?

このゲームです

こーしんりょー
流行りましたね…(過去形

nisetono
名前だけ知ってるw>ひとりぼっち惑星

modernclothes24
このゲームを巡って、今の「欲望を効率的に追い求めるだけでは、自らの求めていたものからどんどん遠ざかる」って話の具体例というか、俺の煩悶を聞きやがれコンチクショーーーーッ!!!w

こーしんりょー
あーw

modernclothes24
ええとね、ええとね!(もちつけ) まずこのゲームっていうのは、端的にいえば「ボトルメール」なわけです。SNSに流せる。つまり「プレイヤーの自由なテキスト」が、「どこかの誰か」に届く。
ただし、プレイヤーはどこに届いたかわからんし、受け手も誰から届いたかわからん。そんなシステムを、終末系SFな素晴らしい世界観、切ないピアノの音楽で描かれるわけです。
まず、作者のひと(個人製作です)は、これがSNSに適したシステムのように、「多少考えて」作ったわけです。今の「繋がりっぱなし」世界、つながりっぱなしソシャゲ、に対するアンチとして、
「繋がるかどうかも不明なボトルメール」なシステムを、「繋がるかどうかわからない終末SF世界観」と完全にマッチさせて。

今のネタ・コミュニケーションで、こーしんりょーさんが「過去形」とするくらいは、流行って、そして廃れた……のかなぁ? まだやってる人はやってる、と信じたいですが、それでも「過去のもの」と見られるような状況になってること。
上で述べた「多少考えて」というのは、作者のひとの考えが「多少にすぎない」ってんじゃなく、皆が異様に食いつぶした……的な。作者はこの食いつぶしまでは想像できなかった、という意味での「多少考えて」であります。
で。ぼくは、このゲーム、最近で一番感動したんですよ。システムと世界観のマッチがすさまじい。ひいては、今自分がやってる創作なんですが、
それに対するものすごい有益なヒントも勝手にえて、今創作バリバリやってて、人生がたのしい。マジで。それくらい、このゲームがぼくは好き。愛している。でも、twitter世間では、もう過去。

もうひとつ補助線をひけば、このゲームの廃れの理由は、「ボトルメールにクソテキストを皆が載せまくった」「そのボトルメールを皆がネタ消費しかしなくなった」という意味でもあるんです。
皆がシステムを陳腐なネタコミュの形でしか使わなくなった。……これが、欲望発、終点は元から遠ざかり、のひとつの例です(長くてすいません

nisetono
こーしんさんの好きそうなネタで言えば、まるでエロゲオタクに短期的にセックスされまくったが、すぐに飽きられた純愛泣きゲのヒロインみたいな話しですね(悪趣味なのはこーしんさんであって、僕では無い!

modernclothes24
まったくその通りや! しかもシステムにのせられて実際に俺のスマホのもとに届いたクソテキスト……!クソテキストの群れ……! まるでぶっかk(略
ぼくが「クソテキスト」というほど、このゲームにもともとあった「デフォルト世界観テキスト」があまりに詩情あふれる素晴らしいものだったんだよおおおおおお(涙

こーしんりょー
『ひとりぼっち惑星』は、有名な「コミュニティの一生」コピペをそのまま超特急で突き抜けた感がしますね…。

nisetono
なんだっけな。たぶんこれは残響さんのほうが詳しいと思いますが。
村上春樹が『ノルウェイの森』だったと思いますが、そこでベストセラーになった時、詳しい数字は朧気ですが……
確か10万部クラスの時は、普通に嬉しかった、おおぜいの読者に自分の作品は出逢えたのだから。だけど、それが100万とか200万になると、ちょっと怖くなった、って話しを確かしていて。

modernclothes24
イタリア・ギリシャ旅行記「遠い太鼓」の中盤にある「1988年、空白の年」というエッセイに書かれていますね。今手元にあるんで引用してみます。軽く……
 
――僕には50万という数の人々をうまく想像することができなかった。読者としても想像できなかったし、単なる「人間の数」としても想像できなかった。十万の人間なら僕にもなんとか想像ができる。
でも五十万ともなると、これはもう無理だ。そのあとはもっと酷くなった。百万と百五十万と二百万、それらは僕にとって実態をもたぬただの「巨大な数字」にすぎなかった。
(中略)
すごく不思議なのだけど、小説が十万部売れているときは、僕は多くのひとに愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも「ノルウェイの森」を百何十万部も売ったことで、
ぼくは自分がすごく孤独になったように感じた。そして自分が多くの人々に憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。

(引用終わり)……こんな感じですね


nisetono
この春樹さんの文章、最初読んだ時は「け、初めてのベストセラーでアンチコメントの爆撃喰らって参ったんだろw」みたいな感想しか無かったんですが。
いま改めて読み直して見ると、味わい深い文章だなぁと思います。確かに「10万人」はギリで想像できても、100万人以上になると、もはや「人間的な関係」を持てる数字では無い。

ツイッターでも「ある一定以上のRTが回ると自然にクソリプが発生する」みたいな話ってあるじゃ無いですか。ある一定の数字を超えると、それが良いか悪いかはさておき、元の内容とは関係ない文脈が発生して、
それが時には「元の文脈に対して」破壊的な作用をもたらすって言うのはありますね。

「外部ネットワークが大きければ大きいほど良い」っていうのは、そういう意味ではかなり嘘くさい話しだと思います。ジャンルによりますが、それこそ「10万人」くらいが「良い意味」では限度だと思うんですよね。
まぁ現に売れるモノは売れるので、それを批判しても仕方が無いところはありますが。とはいえ、無根居に売れたから良いって話になるわけでも無い。

modernclothes24
ちょっとずれる話かもしれませんが、先日のコミケで、壁サークルで「列形成」があるじゃないですか。そこで、twitterで「月曜日のたわわ」で人気を博しているサークルさんの列解消のスキルがとんでもない、
っていう話が、去年も今年もあったんですね。

それ自体は凄いことだと思うんですよ。コミケでトラブルを減らしたってことはすごいことです。でも、一方、ぼく自身も同人イベントでサークル構えたことのある立場からしたら、
その「はい1000円、はい回収、はい同人誌」のシークエンスが、なんか「同人」ぽくない、って感じてしまったんですよね。もちろん、「月曜日のたわわ」の人達になんらの悪いところなんてないんですが
このこといったら結構叩かれそうダナーとか思って、控えてたんですが。でも、「あんまり巨大な数」ともなると、もう作り手(がわ)って、「捌く」ほかなくなってしまうのかなぁ、と。当たり前のことを言ってますが。

nisetono
まぁ、同人界隈にはいろいろありますからねー。
基本そういう「捌く」で対処しなくちゃ逝けないところって言うのはあるんですが。

こーしんりょー
「同人」っぽい、それこそ手渡しで、ユーザーと会話を交わしながらのコンテンツ提供が、数の増加に伴いやむなく「商業」っぽくなっていく……?

modernclothes24
『捌く」ことは悪いことではなく。それこそ今こーしんりょーさんが仰ったように「プレ商業段階」というか「商業の萌芽」というか
決してぼくは「月曜日のたわわ」のひとたち、並びに壁サークルのひとたちを非難はしていません。それだけの力のある創作物だ、って話ですし。
しかし、「ふつうのコミュニケーション」ってどこで、ぽっと消えてしまったのかな、っていう、言っても仕方のないレベルのことなんですけどね……

こーしんりょー
一人の人間(コンテンツ)がコミュニケーション可能な人数には限りがあって、それを超えてなお提供しようと考えるならば何らかのシステムに頼らざるを得なくなる。
コミュニケーションに代替して「巨大な数字」を弾き出す様が、元はコミュニケーションを希求していた人にとっては気味が悪く見える。それが春樹が感じた孤独であり、残響さんが感じるネガティブな印象なのかなと。


nisetono
アレですよね。基本そのどちらも「コミュニケーション」であるんだけども、同人的なミクロコミュニケーションと商業的なマクロコミュニケーションの不一致というか……
なにか最初はミクロなコミュニケーションを希求していたものが、それが故に妙にマクロに受けるようになるって話しは、それ自体はあり得るからまぁ良いんですけど。

なにか「ミクロで受ける」つまりは「口コミで受ける」ことそれ自体が良い、みたいな風潮って、昔から僕はちょっと違和感あったんですよね。
かなり昔の話になりますけど、昔はそれこそ「口コミで受ける」のが「自然発生的」で、マスコミ受けするのが「電通によってどうこう」みたいな感じってありませんでした?

modernclothes24
「これはマスコミによって”作られた”ものなんだ!商業主義だ!」みたいな?
カドカワメディアミックスメソッド」みたいな

nisetono
メディアミックス、夏カシス
もちろん、マスコミ的な商業宣伝の「胡散臭さ」っていうのはあるにしても。
今は、個人的には口コミ的な胡散臭さっていうのも結構感じますけどね。僕は。社員とかそういうの抜きで。

こーしんりょー
僕もですね。口コミが胡散臭いものになったトドメはやっぱり「ステマ」騒動になるのでしょうか。

modernclothes24
ぼくの思ってる「口コミの胡散臭さ」と偽マルセルさん、こーしんりょーさんのそれとが同じかどうかの自信はないですが……トドメの一端は「ステマ」というのには同意します。
が、それは商業メーカ側の失態であり、ユーザ側自身による「口コミの凋落(!)」は、ユーザが悉くの作品評価に「ネタ」をしこませたあたりから始まったのではないか、と思ってはいます

nisetono
ステマ騒動って基本的には複雑だったんですよね。アレは。
まず第一にアレは確かに残響さんが言うように「商業側の自作自演」だったことは事実で、それが基本「問題」だったわけですが。
ただ、同時にアレは、そういう「自作自演」にコロっと騙される、つまりは「マス的な高評価が続いていていればユーザーはコロッと騙される」という「マス的な口コミ評価を無謬なものとする」感性に問題があったわけで。

基本的に「自作自演」だろうが、仮にその評価が適切で、きちんと内容のあるものだったら、あそこまで問題にはならなかったと思うんですよ。
つまり、大半の人が、それこそ「ステマ」と同程度の、別にそれ自体が悪いって話しでは無いけど「賑やかし」的な「口コミコミュ」をしていなかったところを「ステマ」によって「ハッキング」されたから、
大半の人はそれに怒ったんだと思います。

「口コミ評価」なんて、簡単にクラックできるんだ、みたいな。今まで神聖だと思っていたものが、そうやってクラックされると人は大抵怒りますから。
因みに、その「口コミクラック」自体は、人間の本性なので、これは仕方が無い部分がありますね。スティーブン・ピンカーという進化心理学者によると……
なんかの実験で、DL数が表示された無料音楽の評価をするって実験があって……
これは想像の通り、DL数が多い音楽作品のほうに高評価を下す人間が圧倒的に多かった。音楽の内容と一切関係なく、ね

modernclothes24
では、それを踏まえて短絡的な物言いをしますが……
批評はステマ(ごとき)に負けたのか?」(あるいは「「マス的な口コミ評価を無謬なものとする」感性」に批評はなんも寄与せんだったのか?)

nisetono
そりゃ批評だって商売ってところはありますからねぇ
別に商売では無い批評だって「自分の文章が読まれたほうが良い」わけで。、
そこらへんの「兎に角、外部ネットワークを増やした方が良い」っていうのも、それこそ「批評側」も結構荷担していたところはありますね。あずまん、だってその一味ですよ。
まぁ流石にここであずまん論をやるのは避けますが。
参考文献としては、コレが良いですね。


あとは、かつてエロゲクラスタで批評書いていた人の大半が、今はソシャゲー中毒者になっているって言うのも、それと同じ感じかなぁ。
ここらへん「批評の凋落」っていうよりは、「批評の正体がバレた」って言う方が実態に近いところはありますよね。
別に昔は尊かったものが今は凋落しているのでは無く、昔からそうだったものが「身も蓋もなくなった」っていう感じかな。


「批評の凋落?ーーゆずソフトからシン・ゴジラ、そして無限批評地獄へ」2「シンゴジラの批評行進曲ーー虚構の穴にリアルをぶっこんで、グリーグリーまわせ~♪」(2)に続く