対談企画者(偽トノ)の後記

わたしはやってなーい♪ けーっぽしーだぁ♪

というわけで、こんにちわ。
この対談が行われたのは八月の半ばあたりでして、今から一ヶ月半前に当たるのですが、
自分の不運を呪うべきか、或いは自分の勘の良さを祝うべきなのか、この一ヶ月半の間に「批評の凋落?」よりも、
「批評の復活?」とでもタイトルを付けた方が良いんじゃ無いか?みたいな状況の変化が生まれたとは思います。

最初に「自分の観の良さ」を自画自賛するなら「シンゴジラ」あたりの批評の盛り上がりにおいて、
これはひょっとすると、そろそろみんな死霊の盆踊りに飽きてきたんじゃね?みたいな予感はあったのですが、
とはいえ「自分の不運を呪う」としたら「シンゴジラ」を口火として「君の名は。」といった各種邦画のヒットによって、
相対的に言えば、ある程度は「批評が盛り上がるような」状況を、少なくとも僕は予想出来なかったんですよね。

この現象を踏まえていれば、今回の対談はそれなりに違った内容になっていたかも知れませんけども、
とはいえ、改め対談内容を僕の目で振り返ってみれば、その相対的な批評の盛り上がりについては、
ある程度は「シンゴジラ」について語っているわけで、まぁそこまでズレていないんじゃね?みたいな安心もあったりなかったり。

まぁそういうわけでして、この対談が行われた、そこらへんのリアルタイム背景――批評が盛り上がっているか盛り下がっているかよくわからない――
を知ったうえで、この対談をお読み頂ければ、僕はさておき!残りお二方のあんまりなご発言の数々ご寛恕頂けるのでは無いでしょうかとレンフォーもゆってるしー。
このクソ長ったらしい対談を最後までお読み頂き、大変にありがとうございました。


対談犠牲者こーしんーりょーの後記

「この対談では『君の名は。』を肴に映画にアニメにエロゲにといった多種多様な武器を交えての超批評格闘術を展開するという2016年を代表する流行に乗っかることができませんでしたが、個人的なこれまでの新海誠体験を含んだ批評記事をブログで書いておりますので興味がありましたら読んでいただけると投げ技をキメます!(ブログリンク


批評愛の狩人残響の後記

第三回(記事数にして全8回)にも及ぶ長編対談にお付き合いくださり、本当にありがとうございます。
本文中でぼくは「愛」だ、AA愛!だ!(百合霊さん挿入歌)と何度も連呼していますが、まあこれもこれで、ひとつのドグマに至ってしまい、視野の狭さに至ってしまうことも、あることです。
愛するならば、その愛こそも、また公正公平なる批判・精査に耐えなければならない。世界のなかの愛とはそういうことかもしれません。
しかしまあ……いや、あとは、そうですね、
……ビーチ・ボーイズ「神のみぞ知る」の替え歌を歌います。(基本訳は残響)


そりゃ永遠に批評を愛することなんてないかもしんない。
でもさ、エロゲの上に星が輝き続ける限り……

君は疑う必要なんてない、と思う。(疑ってもいいけどさ)
ぼくは君を信じさせてあげたい、と思う。(信じてほしいけどね)

批評なしのエロゲがどうなってしまうのか、
それは神様だけが知ってる。


もしエロゲが人生から去っていっても、
まあそれでも人生は続くんだろうけどさ……でも信じてほしいんだ。
そしたらこの世界が、なーんも素敵さを見せなくなってしまうって。
そしたら、人生にどんな楽しいことが待ち受けてるっていうんだろう?

愛なしのエロゲがどうなってしまうのか、
それはオタだけが知ってる。

原曲はこちら