nisetono


えーっと、まずはさっきの残響さんの「自分自身を投げ出す勇気」はこの小パンチでKOするとして。


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んで、本格的なコンボはここから始まりますよと。

 

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いやぁ、ここまで登場人物に熱い事を言わせておいて、それをあっさりと「裏切るような展開」を描くライターさんが、やれ「運命に対してチャレンジすること自体が冒険だ頑張りだぁ」みたいな、
奴隷根性丸出しの思考停止俗流ニーチェ主義を言うわけないじゃないですか。


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別に未知ちゃんだって、そんな「不安定な運命に対して安全性なんて求めないんだ」みたいなことは言っていないでしょう。


シナリオの展開として「そうなってしまうこと」ことと、登場人物の願いが違う」っていうのはもちろんありますが、別にこの作者は「不安定さこそが良い」みたいな事は一度も言っていないとは思いますよ。単にそのような個人の思惑は別として「不安定さ」や「運命」はやってくる、という話はしているかと思いますが。


nisetono
ここらへん、明日原シナリオのテーマともチラっと関係しますが、どうにもこのライターさんは、自分のある種の人生論とか運命論みたいなものがあると同時に、それに対する強い嫌悪もあるとは思うんですよね。

僕がわりと、ここで残響さんを強くディスっているのも、僕がその手の「一回性に賭ける」みたいな偉そうなことを言いながら、所詮ガチャ射幸心中毒者を俗流ニーチェ主義的に正当化する奴隷の哲学が嫌いって言うのはありますが、

もっと本質的なことを言うと、そういうことを言う人間に限って、その運命に巻き込まれたその人の苦境や葛藤や喜びといったものを、具体的に見つめようとしないで、そこから自分の判断を下して実際に行動しない。

そういう人間は、ブラック企業みたいな「絶対に受け入れてはいけない運命」をみても「その運命を変えようとはせず」に、そういった「不安定な生き方に一喜一憂する」みたいな思考停止へと向かう。それこそ、上の「母親には従わなきゃいけない」といったノラ達のようにね

だいたい、不安定な生き方に一喜一憂しろ!みたいなことを言うアンタがエロゲの糞シリアスが辛いよううてただの馬鹿じゃないっすかそんなん。少なくともこの作品のライターさんはそこらへんの矛盾や欺瞞は犯していないですね。そういう意味で、このライターさんはいつもは子ネコのように小心者に伏線張りながらも、原理においては常に野獣のように雄々しい。

僕が思うに、このライターさんは、そうした運命「論」や人生「論」が人を縛ることを知っている。しかも、それは「論」の形ではなくて、それこそ「詩」や「哲学」の形を取った「原初的なモノ」となって現れることにも自覚的だと思います。


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まぁなかなか嫌な質問をするものだなぁとは思いますが、僕がこのシナリオを買っているところはこういうところですね。さっきの残響さんの口振りを借りれば、このシナリオは倫理的または論理的には破綻寸前の人間のありようをきちんと描いて、しかもそれが「破綻しながらも一回性に賭ける人間こそが真の姿だ」みたいな残響さん的な合理化もしない。


だから、このシナリオはある意味で「薄気味悪く」て当然なんだと思いますよ
最終的にはハッピーエンドですけど、それは「今までの人の道(母親は大切にするもんだ)」を捨ててハッピーエンドなわけで、別にそこで「人間の姿を捨てる事が悪い」とは言っていませんが、同時に「人間の姿を捨ててる」ことを良しとしてるわけでもない。


vostok/daktil
ストーリーの終わりと同時に何かの問題がきれいに解決してハッピーエンドというわけではないですね。
手前味噌ですが、昔、前作らぶおぶの感想でこんなふうに書いていました:

僕の思い込みなのかもしれないけど、どのヒロインであっても、何か問題を解決して主人公とヒロインが「成長」したりはしていないように見える。リアルでもばれない嘘がつけるようになれば無敵になれる、雲のような存在になれる(……中略……)、そう願っていたひかりは結局反省してその願いを完全に捨てたというわけではなさそうだし、ルキナルートで批判された恋愛による人への依存は、「毒は抜けた」とか何とか言われていたけど、ハッピーエンドの幕切れ時にはさらにひどくなっていたようにも見える


偉そうな物言いになってしまうが、成長っていうのはそんなふうにきれいにストーリーをまとめて達成できる低いところから高いところへ上がるようなものなのではなく、はじめに低いとされていたところも別に本当に低いわけではなく、単にそのときは経験がなかったからうまくいかなかっただけでこれから先もそういう低いところの問題っていうのは何度も出てくるけど、そのときに側にいてくれる人がいるという安心感、幸福感があるから違うということなのかなと思う。

……以上です。我ながら安易に短絡化するのは悪い癖ですが。
なかなかストーリーが終わらなくて、起承転結が分かりにくいのがいいなあと思います。身につまされるというとおかしいかもしれませんが、理不尽なことをどうやって跳ね返していくのか、それを見ているのが楽しい


nisetono


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こういうセリフはそういうシナリオだからこそ、説得力があるっていうのはわかりますね。
普通のエロゲとかシナリオっていうのは、ある種の「一瞬」を特権化するわけですね、「何らかの一瞬こそが真実だ」みたいに、その物語が意図するある一瞬に向けて、全ての伏線がその一瞬になだれ込むようなプロットを作る。


でも、このシナリオはそうじゃないんですよね。確かにドラマチックな展開はあって、そこには印象深い一瞬はあるんだけども、その一瞬が物語の中で何らかのテーマ論的な正当性を持つかというと、それは他の部分と比べた場合に不協和音が出る

さっきの「母親うんぬん」の話も後の展開から見たら、主人公たちの主張を完全に裏切っているわけですが、でも、そこで作者がノラ達のな思想はナンセンスだと100%思っているかというと、
そうでもなく、そうした主人公たちの感情は美しいとは思っていて、それはそれで確かに美しい。


nisetono
んでも、同時に作者はたぶん、その後の野獣シーンも美しいとは思っているので、そのような態度はやっぱり先のパトの言うように破綻するわけです。このシナリオと同じようにね。
このアポリアを受け入れるかどうか?っていうのが、僕はこのシナリオの評価ポイントかなぁと思います。僕はこういうの、好きですけどね。

残響
少し似た話かもしれませんが、似てない話かも。自分はノラとと、えろすけ基準でいうとこの「90点」はいかない作品なんです。というのも、「物凄く突き刺さるシーン」「素晴らしい言葉」が点在している一方で、「どうしようもなく受け入れられない点」も点在している。かといって、前者だけで固めたノラととがありえるか?といったら、これはもう絶対にありえない話です。

過去に自分はとあるゲームを「1ルート、一転突破!」で凄く評価したこと(90点。「どこでもすきして いつでもすきして」っていうB級イチャラブゲーです)はありますが、ノラととに関しては、それは出来ない。ジャズ野郎のくせして。


じゃあノラととの全てを受け入れて、美点も悪点もすべて「均して」平均点の高さでこの作品を「まあ平均点以上なんじゃない?」って評価するのもしたくない
見る点によってどうも良い点と悪い点(個人的な)が、すごく変わるって話です。そのあたり、仰る連続性のところゆえに、どうにも自分は煮え切らない言葉を、こうして紡いでしまう。


nisetono
じゃあ、その個人的な良いところと悪い所ってなんですか?と突っ込んでみよう。


残響
ルートごとによって、「視点によって切り取られたノラとと世界(世界観)」が異なる、ということをまずは前提してから。少なくとも自分にとっては。黒木ルートは自分にとっては母性原理の世界観。明日原ルートはヤンキー原理の世界観。シャチルートはイチャラブ世界観。パトルートは、前から言ってる「言葉(とメタファー、意味のつながり)」世界観。


まあそういう「キャラの見ている視点によって、ルートごとの世界観が違う」っていうのはよくある話ではありますが、どうも自分はこの「世界観の違い」がノラととの場合、如実に現れてるような気がする。そして、各ルートで、その切り取られた世界観の中で、意味性を巡ってドタバタと、あーでもないこーでもない、としているように見える。ぼくが嫌う黒木ママも、明日原DQN昔馴染みも、「1ピース」であることは認めます。しかし逆に言ってしまえば、「その1ピースをメインパーツとした世界観でいるが故に、気に入らない」という話です。


さらに逆に(一周した!)言えば、「殊更気に入った1ピースがメイン」=イチャラブに辿り着くまでの試行錯誤、というシャチルートは非常に気に入っていますし、さらに進めて「言葉というピースをひとつひとつ並べていって、脱構築してさらなる意味性を無限に生成していってる」パトルートが、なんだか文学しているなぁ、と。


nisetono
つまり黒木未知ルートは気に入ったところが無いと。こう仰るわけですな。


残響
最初のこーしんりょーさんの意見に戻りますが、黒木ママというピースがのしかかってる。その通奏低音がどうしても拭えなかった。とはいっても、それもまた自分の偏狭な見方だというのも理解していて。自分がアポリアに耐え切れなかったというのも認めて。ラスト近辺での黒木の冥界大暴走は、それはそれで楽しかったです。やっぱり、ひとつだけは抜き取れない、とわかりつつも……


nisetono
残響さん、こういう詩、基本的に苦手でしょ。
W.H.オーデン「独裁者の墓碑銘」

この男が求めたのはある種の完璧さ
  彼が作った詩は誰にもわかりやすかった
  人間の愚かさを知り尽くしていた彼は
  陸軍と海軍とに大きな関心を払っていた
  彼が笑うと取り巻きの連中は追従笑いをし
  彼がわめくと小さな子どもたちが野垂れ死にをした

http://poetry.hix05.com/Auden/auden14.epitaph.html


残響
……うん! 三回読んでみました。初見の詩ですが、確かにピンときません。


nisetono
やっぱりね。まぁそこら辺については、今後の対談でボチボチやってみますか。こーしんさん的には、基本的にこの黒木ルートは、最後の大暴走くらいしか良いところはないかなぁって感じでしょうか?


こーしんりょー
最後の大暴走が好き(過程のかっ飛ばしっぷり含めて割りと完璧くらいに思ってる)なのは前提として、反復される告白シーンなど、点々で好きなシーンがあって、全体的には未知ママ絡みで常にウッとなる感じですね。この点々具合いについて、先程の偽トノさんの主張からちょっと思ったことがありまして。


>普通のエロゲとかシナリオっていうのは、ある種の「一瞬」を特権化するわけですね、「何らかの一瞬こそが真実だ」みたいに、その物語が意図するある一瞬に向けて、全ての伏線がその一瞬になだれ込むようなプロットを作る。


プロット(作劇)って帰納的アプローチと演繹的アプローチがあって、エロゲーのプロットは基本的にあるテーマや結末に向けて作劇する帰納的アプローチだろうと考えてたんですけど、この認識がちょっと変わりましたね。

こーしんりょー
ひとつのコンテンツが提示された段階でそこに結末が含まれている場合は、シュールレアリズムなどの例外を除けば基本的に帰納的アプローチにならざるをえないと考えていた。


念のため、演繹的アプローチにならざるをえない例を挙げておくと、連載漫画や連続ドラマなど結末を予め用意しづらい流動的なメディアでの作劇の場合ね。これらは既存の設定やそれまでの物語、ユーザーの反応などから順々に重ねた先にテーマや結末が決定していく、と。だから帰納的アプローチと比較して一貫性を保つことのが難しい(そのこと自体が優劣を決めるものではないと前提しつつ)。

そこでエロゲーはと考えると、基本的にひとつのコンテンツ内に結末までが用意されている。そういう意味では映画などと一緒で帰納的アプローチによる作劇だろうと。しかし、よく考えたらエロゲーには分岐があって、異なる結末がある。だから、ひとつのシナリオ(それは恐らくセンターヒロインルート)だけで言えば多分帰納的アプローチが大部分を占めるプロット作りになると思うんだけど。センター以外のヒロインは始めに幹として存在するセンターヒロインルートを前提にするため、演繹的アプローチの方に振れていくのかなと。


結論、黒木ルートには私好みの完璧な結末がある。しかし、その結末に向けて理想的にストーリーテリングするには既存の設定などの前提が多すぎた。だから、私から見れば結末以外はなんともグダグダした物語の繋ぎが目立つ結果になったのではないかなあと思いました。

nisetono
こういう話をするときは、そのシナリオの「ドラマツルギー的な構造」(単純に言えば、ここで盛り上がるとか、ここで盛り下るみたいな話)と、シナリオの「意味論的な構造」(僕がさっき長文でグダった話)」を分けて考えた方が良いと思うんですよね。

もちろん、両者は密接に関係しているんですが、とはいえ、後者が「あんましよく理解できない」ような状態でも、前者は発生するわけです。ちょい馬鹿にしたような言い方で申し訳ないですのですが、たぶんこーしんさんの「ラスト辺りは完璧」っていうのも。
「なんだか色々と七面倒臭いグダグダ話を、一気に吹き飛ばす爽快感が最高」っていう感情だと思うんですが。どうですかね?


こーしんりょー
なんだか色々と七面倒臭いグダグダ未知ママを放置して、最後の告白を経て一皮むけた死神未知の前にもはや敵は無し! 繰り出せ、冥界活劇! でもまあ敵はないのでその活劇も飛躍させちゃってオッケー、一気にハッピーエンドだ! ……感。やだ、最高じゃない。


nisetono
そういうドラマツルギー的な快感でいえば、おそらく大半のユーザーは感じているところは、そこまで違いはないと思うんですよね。ある種の「タメ」と「爆発」みたいなドラマツルギー的な構成の普遍性っていうのは確かにあるので。

ただ、そのドラマツルギー的な構成に、僕がさっき言ったような「意味論的な構造」を重ね合わせていくと、僕はこのシナリオ、よく出来ているなぁと感心はするわけです。


人間が「化け物にならざるを得ない」最悪な状況をきちんと描いている。物語も人間も倫理も理屈も全てが破たんするところで怪物が現れる。折角だから、また詩を引用すると。


W・B・イエイツ 再来

鷹はぐるぐる飛びながら旋回の輪を広げっていて
鷹使いの声が聞こえなくなる。
ものごとはばらばら、中心は保てない
純然たるアナーキーが世界にとき放たれた。
血に染まった潮があふれ流れ、いたる処で
純粋無垢な儀式がおぼれ死ぬ。
最良の人たちはもう自信が無い、最悪な人たちは
強烈な情熱に満ちている。

たしかに、何らかの啓示は近い。
たしかに、再来は近い。
再来! そう言ったとたんに
世界霊から巨大なイメージが現れて、
私の視界にわり込む。砂漠のどこかで、
ライオンの体に人間の眼を持つ一つの姿が、
太陽のように空虚な冷酷な眼で、
のっそりと太腿を動かしはじめ、その体のまわりに
怒り狂う砂漠の鳥たちの影がゆらめく。
暗やみがまた降りてくる、しかし今、私は知る。
二千年の石のような眠りが、
ゆりかごで悪夢にうなされていることを。
そしてどんな凶暴な野獣が、ついにその時がきて、
生まれ出でるためにペツレヘムへしのび寄っていくか


尾島庄太郎/金子光晴訳



まぁ残響さんの「詩=メタファー説」を潰すために説明するとw、ここでのメタファーそれ自体はベタですね。異教的な用語は使ってますが、基本的にキリスト教圏の「黙示碌」のイメージを使ってるだけで「ペツレヘム」とか「スフィンクス」をググれば、この絵解きはそこまで難しくはない。

どちらかというと、メタファーよりも、これはリアリズム的に理解した方が良くて、そりゃ鷹が鷹使いから解き離れたり、最良の人が自信が無く、最悪な人の小池とか前原とか例の結婚詐欺とかが「情熱に燃えている」ような世界になったら、これは比喩抜きで、そのまんま「世界の終わりは近い」わけです。

ノラトトの終盤も基本的にはこんな感じにはなっている。彼らの「母親の従うことこそが倫理」という通常においては最良の倫理が完璧にぶっ壊れているんですから。

残響
ぼくはどうも詩においては「おい、それに対するそんな距離のとり方イヤなんや」っていうのがあるみたいで。ここで言う黒木ママなるものもその一端ですが。「それ」がベタに描かれている、それはもちろん好きではありませんが、メタフォリカルに「それ」が描かれていればよいのか。あるいはメタフォリカルに「それ」が殺されていればよいのか。それが微妙なところですね。


たとえば、俳句においては、ぼくが基本殺したい「尿」とか「糞」とかが言葉としても、現物としても次々出てくるわけです。ところが、

木の股のあでやかなりし柳かな  朋猫

など、自分の好みともいいがたい、なんか元々ぼくが好まないタイプのエロティック文字面であるにも関わらず、ぼくにとって、ひとつの感覚の打破(ほぅ!)があったわけです。
それを言えば、先ほどの偽トノさんが引用したオーデンの詩は「詩人による、モチーフとの距離のとり方」がどうにもむむむだったし、じゃあほとんど同じことを言ってるパンクロック・バンドthe Clashのジョー・ストラマーの詩は、その距離のとり方故に好むわけです。そう言うと所詮は好みの差なんじゃねえか!と糾弾されるのは目に見えてますが。

ただひとつ言えるのは、どうも偽トノさんは自分から見て、こういうリアリズムモチーフに対して、耐性があるように思える。もちろんあるからこそ、政治活動でいろいろご苦労されているんでしょうが(繰り返しますがこれは皮肉ではなく、ほんとご苦労さまです)

言い換えれば現実が現実であるカオスさで、特定の○○なネガ要素があっても、「それはそれで受け入れよう」っていうふうに見受けられる。対し、ぼくは積極的に目を逸らす人間である、ということはもう知れ渡ってると思いますw そこのところ、カオスのデモーニッシュさ。黒木ルートのラストの「化け物」さ。まあこれも「パンクとかカオスとか残響言ってるけど、結局は自分好みのヌル狂気しか受け入れないんじゃないか!」と言われたらそれまでですが、それでもモチーフに対する耐性の強さと、「えり好みのしなさ、目を逸らさなさ」は、自分と偽トノさんを分けるかなぁ。と。


nisetono
うーーん、別に僕だって前原のツラなんぞもう二度と見たくないですけどねぇw

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うーーん、別に僕だって前原のツラなんぞもう二度と見たくないですけどねぇw
なんていうんでしょうかねぇ。リアリズムと言うと範囲が広すぎだと思いますし、別に現実がカオスだっていう話ではなくて、普通に「そういう感情はこういうしか無いじゃん」っていうところがあるわけです。


確かにこのセリフは僕もグッときましたが、別にこれはこの未知ちゃんの台詞が狂気だとかデーモニッシュとかそういう話ではなくて、最愛の人が死んで、そしてその人の感情と言葉がそれなりに豊かだったら、これくらいの意思表示はするわなぁ、みたいな当たり前さに感心するところがあって。


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告白が長いというのはいいところだと思います。プレイヤーはもちろんエッチシーンを楽しみにしている存在なわけですが、やっぱりヒロインの言葉を聞いていたいです。でも、ただだらだらしゃべるというのも持たないわけで、はとテキストのような雄弁法っていうんですかね、きちんとしたうねりのある言葉の流れを聞いていたい


このシーンでは、文体は文章語なのに、朗読は絶叫調であって、そのちぐはぐさが、未知の思いの過剰さを演出しているのもよいです。そのジャンルを維持し切れなくて、最後は口語にくずれてしまっているのもよい。技巧的なテキストですが、声優さんは精一杯叫んでいて、うまくできているなあと

nisetono
ある種の詩の朗読みたいなとこはありますよね

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基本的にこれも、バックログで見ると、そこまで面白くは無くて、基本的にはワンクリックによるワンセンテンスの提示と、ボイスが連続するがゆえに、その詩の語調が絶えず耳に入る事による言葉の引き締め効果、みたいなところはあります。

さて、そんなこんなで、たぶんエロゲクラスタの中で、ここまで黒木未知ルートに語った人たちはいないだろうっていうくらい、未知ちゃんルートについて語ってきましたが、最後に一つ質問をして、この対談を終えたいとは思います。


この未知ちゃんルートのエンディング、これはハッピーエンドだと思いますか? まぁ別にバッドかハッピーか?っていう二分法じゃなくて、エンドについてこれで良いのか悪いのか?っていうあたりをお聞かせ貰いたいなと。



(シンキング&打鍵タイム)


nisetono
じゃ、まぁ僕から語らせてもらうと、

これって、ある種のドロップアウトシナリオみたいなものだと思うんですよね。言い換えると、すげぇ典型的な「これ実はバッドエンドなのよねぇ」オチ話でいえば「これは全部、植物人間状態の主人公の夢だった」みたいな話でも、それはそれで通じるような非現時さがあっていい。

主人公たちが信じていた、、ある種の倫理は論理や人情は容易く破壊されて、最後には化け物になった未知ちゃんと、化け物になってるっぽい主人公が残って、更にはあの最後のナレーションのオチが入る。

これはもう、それを良かれ悪しかれ解釈するにしても、主人公たちは「まともじゃない道」に踏み込んでしまっているわけですよね。それを匂わせながらも、でも、隣には恋人がいるから幸せだっていう、前向きなハッピーエンドを語る。

実に正統性的な青春物語で良いなぁと思ってます。世界は、これくらいの広がりがあった方が人でも、人の道から外れたような人間でも、生きやすいと思うもので


こーしんりょー
ハッピーエンドだと思います。がんじがらめだった未知は死に、(精神的にも、存在的にも)生まれ変わった。生まれ変わった結果の永い永い苦労話をグダグダやることもなく、ズバッとお話しをぶった切るところに生まれ変わった未知への強い肯定感が表れている。


ご都合主義的な主人公の生還の有無にかかわらず、この肯定感こそが私にはハッピーに映りますね


vostok/daktil
というか、エンディングを否定する派は存在するんですか。


夢のようにぶっとんだドタバタで終わるのはよいですね。もともと作品世界自体がハリボテの冥界があるようなうさんくさい感じで始まって、なんやかんや生々しくて嫌なことがあったり嬉しいことがあったりして、最後にその世界の現実感も喪失していきそうなくらいの元気いっぱいの姿をみせてくれる。

こっちも元気を分けてもらえるような気がします。おとぎ話が卑近な話になるけど、そのまま地に足をつけて墜落せずに、最後に軽やかに飛んでそのまま浮かんでいられる。現実に帰らなくていいので眩しさを感じられるし、むしろそこに余韻がある。続編でのアフターストーリーが必要には思えませんが、なんだかんだで楽しみにしちゃうな。


nisetono
最後に残響さんが残っているので、きっと彼ならやってくれるっ!>エンディング否定派!

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残響
なんだか昔話の終わりだった、みたいな感じ。それはかなり意識的だったと思うのです(めでたし、めでたし)。それは「もう冥界的伝説になった英雄譚(?)」にもかかり、かつノラの母と黒木ママの和解ということにもかかった結構なダブル、トリプルミーニングにも見えて。

そしてノラさんと黒木の間の「別れそうになっても」という「ああこの先もドタバタするんだなぁ」のをはっきり明記させるというので、物語は先に続くようで、結局円環をなしてて、一抹のさびしさもあって。そういう「昔話モチーフ」という点ではうまいなぁ、と。



しーかーし……
……なんかこの世界観で「別れそう」っていうので、この先のアフターストーリーの数々が、幸せなイチャラブ的どーでもいい話でのすったもんだ、だけで終わらなさそうな予感がする。
たといボードレールが「悪の華」のラストで、


未知の世界のどん底に 新しさを探しだそうと欲するのだ(「旅」 8)

と言い放っても、正直はと氏に、黒木世界視点(世界観)だと、手放しの多幸感のイチャラブ世界を、ゆったりと安心は出来ない、という正直なこころ。

nisetono

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さぁ、最後の残響さんのあんまりなオチに、皆さんはどのような反応を示すのか? 


僕から見れば「てめぇもう文学性とか語る資格ねぇだろ多幸感のイチャラブ世界バブーってこの糞雑魚が」っていう感じが正しいのか(注2、
それとも残響さんみたいなヘタレ反応が正しいのか?黒木未知ルートが実はしっくり来なかったあなたも、案外良いと思ってるアナタも、いや実はまだやってないんだけど、残響さんみたいな偉そうな口を叩きながらも鬱シナリオは嫌だからまだやっていないというあなたも!

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今回の対談を読んで「ほう実はそんなシナリオだったのか?」とか「コイツ偉そうなこと言っているから、矛盾突くためにもう一度やり直してプレイしたれ!」とか少しでも思ってくだされば、この対談の企画者としては、これ以上嬉しいことはありません!

さぁ、次回はこの娘のルート。まだまだ現実の地獄は続くぜっ!エロゲクラスタ名物、残響さんのトラウマゲロを見逃すな!


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ノラトト対談-「ヤンキー残響VSシオハラ(仮題」に続く



(注1 偽トノちゃんは民進党の反緊縮スパイとして働いていたのよね。んで前原くんによって民進党が9月末に解体された所為でスケジュールが完璧に狂ってしまったのであった

(注2、実はこの対談のあと、ちょっとした雑談があって残響さんの最後コメントで「ボードレールの代わりに実はこう書こうと思ったんだ」というのが出たんですが、なんかもう普通にダメダメで怒る気にもなれなかったですハイ。