nisetono

これはある程度は、この作品のプロット進行によるところが大きいと思うんですよ。
この作品、きほん「わりと無駄が無い」じゃないですか。次々とテンポよく事件が起きて、それの解決の間にまぁ少しずつヒロインとの仲が良くなって、みたいな進行をする。
で、この「プロット進行」を「背景絵」だけで見ると、非常に「エアクラ的」なんですよね。まぁワープ的と言っても良いかもしれないけども。

 

p5


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p7


p8

このスクショの内容は特に意味はありません。問題なのは背景絵の連続性で。
これ「ある場面」と「ある場面」の「中間点」みたいな背景絵が無いんですよね。そのプロット進行に必要な「場所の背景絵」だけが続いていく。これは一見当たり前のように思えますが。

なんというか、この作品が鉄道の魅力として「点と点」ではなく「それらを結ぶ線としての鉄道の魅力」を語ろうとすればするほど、主人公たちが「歩いて、または鉄道を使って移動してる御一夜」の線の日常感覚がちっとも描かれてないじゃん!感がしてくる


こーしんりょー
お話の見せ方の戦略が、作品のテーマと合っていないということでしょうか。

確かに、無駄の無さはありますよね。この点は前回も私は「話がスルスルっと通る」表現しました。この話運びの軽快さに対して良し悪しをそれぞれ感じるところはあるかもしれませんが、私はこの無駄の無さは本作の演出面の力の加減を考えると仕様がないのかなと思わなくはないですね。
ストレートに言えば、E-moteによる演出コスト増によって削らざるをえない要素があったのではないかと。それは本作に限った話ではないですが。


残響
せめて御一夜のマップ(どこそこに〇〇がある)があったらなぁ、とは思いました。エアクラからの鳥瞰風景しかなかったので


merunonia
自分はお話の見せ方ってところで、感想でもおもったのですが問題発生⇒解決法提案⇒翌日解決 みたいなぽんぽんっって進んで、こうしたいってのはすごい伝わるのですが。

それよりも自分は、その問題発生に対しての「解決のための努力なり」の姿が見たくて、(施策過程の実際の動きなりアクシデントへの対処だったり)そういうのが私すごい好きなので、そこが省かれているのに自分には合わなかったのかもしれません。 

ただ、本作の演出面だったり、壮大な結末へ持っていくにはこの無駄のなさじゃないと話がズルズルといつまでも引き伸ばされそうってのもすごいあって、なんともこう仕方ないのかなとは思いました


残響
鉄道に即していえば、急行列車に乗ってるような感じ。各駅はちゃんと通ってるけど、鈍行列車のようなそれではない。


nisetono
世界観 | デジタルノベルブランド Lose
デジタルノベルブランド Lose 3作品目「まいてつ」作品サイト


これ、OHPの世界観設定のページですが。どれもこれも背景絵は綺麗だし、普通に金がかかっているとは思うんですよ。ただ、これだけやっておいて「俯瞰絵」が無いんですよね。

いやまぁ、ここで俯瞰絵があればマシっていう議論はちょい違うと思うんですが、だけど俯瞰絵を意識していないっていうのはそれはそれで「これだけ背景絵」に金をかけておいて凄いなぁとは思います。
んで、僕が先に行った中間絵が無いっていうのは、うーん、これはちょいエロゲ論みたいになるんですが、具体的な作品で「すっごいわかりやすいモデル」で説明すれば「結い橋」って作品が、すごく「説明しやすい」のでやってみると。


(1)


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これも特にキャプ内容それ自体は意味が無いです。先のように背景絵の連続性が問題で、ぶっちゃけこの背景絵の連続性だけで、この「結い橋」の「世界感覚」を全部描写していると思うんですよね。

補足すると、一番最初が「主人公の家」。その他にもこのキャプに移っている「知絵の喫茶店」っていうのがありますが、そうした場所がある「通り」が次の背景絵で。んで、次は「神社に向かう」長い歓談の背景絵があって、そこを登りきると「高いところから見える強烈な日差し」に迎えられて神社に到着する。

んで、その次の背景絵は「神社」の中で、まぁ実質この作品は「下界=主人公と知絵と未衣っていう義妹が暮らす世界」「上界=まつりさんたち巫女さんが暮らす世界」を「往還」する物語なわけです。


これ、たんにプロット進行だけだったら最初の背景絵と最後の背景絵だけでいいんですよね。「主人公が幼馴染と一緒に神社に行った」の一文だけで、1と7をワープさせればいい。
でも、ここで2~6の「背景絵」と「主人公たちが下界と上界を往還している」描写が入ることで、そ「下界」と「上界」だけではなく「その真ん中の町」という世界が、プレイヤーにとっても生活感あるものとして認識されていく。単に俯瞰絵を描けば「世界が認識される」ってわけじゃないんですよ。

残響
なるほど。大変わかりやすかったです。すっと頭の中に「道筋」、下・町・上の位置関係がわかりました。脳内に展開されるというか。それのある意味対極なのが、「まいてつ背景ディテール」だったりして。


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p18


p19

なるほどディテール(細部)は描かれていますし、その細部にまで手を抜かない姿勢は誉められることとは思いますが、「しかしなぁ」というか。ここに「世界の連続性」はあまり感じない……。
というかこれらの背景、ほぼ一発くらいしか使われなかったような。厳しく言えば「力を使うべきリソースを間違えてるんじゃないか」と今思ってしまいました。(残響のような生き様の人間がそれを言う?のツッコミはともかくとしてw

こーしんりょー
漫画で言うコマとコマの間のシーンは確かに希薄ですね。「あったっけかな~」と思い返しててそれっぽいと思ったのが日々姫ルートにて二人で鍛冶屋へ向かうこのシーン。シーン導入のこのしょうもない会話もいい。


p20


nisetono
うん、こういうのはいいんですけどね。でも少ない。

こーしんりょー
「背景」ベースで組み立てられたシーンとシーンを繋ぐこういったシーンをもう少し巧く配置できたらそりゃベストだったんだろうなとは思いますね。


残響
まいてつ製作者側に「シーンとシーンを繋ぐ」という発想があったか、というと、個人的には疑問に思うところです。


nisetono
メルトンさんがさっき仰った「試行錯誤を重ねる」みたいな話で言うと。
そうっすね。例えばさっき残響さんが上げた背景絵でいえば、石炭の練習場みたいなやつあるじゃないですか。残響さん専門用語フォローよろしくw
そこで主人公がすごく苦労して、何回もそこに通う、みたいなプロットを作るとしますよね。


残響
投炭練習場、です


nisetono
サンクス。その「投稿練習場に何日も通う」っていう描写をするにしても、ずっと「その投稿練習場」の背景絵でその描写を繰り返すよりも、別に短い繋ぎの「シーン」で良いので、家からそこに向かう一部始終を「繋ぎの背景」で見せた方が、僕はリアリティあるなぁと思うんですよ。

そういうふうに「毎日苦労している職場や練習場に向かう。そしてその横にはちょっと励ますヒロインが」みたいな感じの描写を入れれば「あー、こいつ苦労しているんだなぁ」って共感できるじゃないですか。「試行錯誤したという事実の描写」それ自体が「共感を生む」っていうよりも、要はその「試行錯誤して努力している作中の時間や場所のリアリティ」が重要だと思うんですよね。でも、この「まいてつ」はそれが「試行錯誤したという事実の描写」がトントンと進むだけの感はある。


残響
さらに例えれば、投炭練習場での帰りに、登呂流湯に寄るのがテンプレになってますが、この童貞もとい道程が全然ときめかないんですね、プレイしていて。しかも銭湯に入ってもドキドキ感というのが皆無ですし。このあたりの「エロゲ銭湯リアリティ」みたいなのの喪失っていうのは、「え、こんな描写アリなの逆にっ」と驚きましたね。もちろん、そこにエロゲ的甘味は一切ないわけであります。

あと、自分はカプ観測の都合上、「箱庭」ってものが大変好みな設定なんですが、まいてつの舞台・御一夜って、箱庭感がすごい……「ない」。双鉄君妄想をするにしても、双鉄君がどこをどういうふうに動くのかが脳内に「見えてこない」。
それは即ち、日常の時間性……試行錯誤の物語、ささやかな日常の描写、みたいなものがサクセスストーリーの前では塗りつぶされてしまってる、ってやつですね。大義のためにはなんとやら。でも、日常無き大義ってなんやねん、とも思ったりしますが


nisetono
ちょい意外、残響さんはわりと「登場人物がまったりしていればそれで箱庭OK」なひとだと思っていた!


こーしんりょー
登呂流湯ハーレム風呂はこの「実は変だよ『まいてつ』世界!」を象徴する良いシーンだと個人的には感じており、故にそのエロゲ的サービスに甘味料が振られてなくても別の面白みがあると思っていますがw その変さの中で、作品の楽しみにマイナス影響を与えるていそうな要素として、やっぱり双鉄くんの変さ=共感できなさは挙げられますよね。
残響さんの仰る、双鉄君がどこをどういうふうに動くのかが脳内に「見えてこない」ってのは私も本当にそのとおりだと思います。


nisetono
そう考えると、このポーレットルート、僕は初回ルートがこれだったのですが、これに対する「そんなにおかしいところはないけど、なんかそこまで印象に残らないな」っていう僕の感想は「プロットそのものが悪い」っていう話ではないような気がしますね。

これ、エロ助あたりだと「市長が電車動かしていれば、そりゃ町も傾くわー」とか「市長が学生レベルなのがおかしい」っていうツッコミはありますけど、こういうのは相変わらずエロ助の以下自主削除って感じはありますね。
まぁ敢えて細かいところを突っつけば、ポーレットと市の衰退の関係性が、イマイチ明確な所が語られないってところはありますが。こういう重箱の隅つっつきみたいな邪悪な仕事は、僕の得意とするところなので、一応はその辺もやっておくと。

 p21

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p23

ここらへんをみると、なるほどポーレットのお父さんがそれなりの実力者だったことはわかります。「一時期町の衰退を食い止めた」というデーターは得られる。んで、それがポーレットの代になって駄目になった、というのはたぶんその通りなんでしょうけど。

プラス的な要因でいえば、ポーレット父さんの「一時期の衰退を食い止めた手法」が明確にならず、マイナス的な要因としての「ポーレットの無能な所」っていうは、それは作中で描写されるとしても「あの病気」がなにか直接「市の衰退に関係しているのか?」と言われると、そこらへんも確たる描写は無かったような気はします

残響
素人発言&設定の深読み妄想、さらに真闇ルートの話ですけど、ポーレットパパの代って、宝条元忠が必至こいて地元に参画しようとしてた時期じゃないですか。そのあたり「先代の代がみんなで頑張ってた」みたいな感じですかね。そして、ポーレットって「保守穏健」じゃないですか。そのあたりで「新たなビジョンを見出せなかった」というのが衰退にいったのかなぁ、という。あくまで妄想なので、確たる設定に基づいた発言じゃないです。


nisetono
でも、ナマハゲコンサルトの社長兼家畜のメルトンさんとしては、やっぱりこういうポーレットさんみたいな市長は「なに趣味の電車やってるの?そんなのは他の人にやらせろYO!」とか思っちゃいます?


merunonia
えーとそこまでは言いませんが、難しいだろうなぁ、よくできるなぁとは思います(過去に実際に市長と鉄道会社の社長を兼務した例もありますし)この際、まいてつというファンタジーを含んだ世界で「市長なのにこんなに毎日電車業務に携われるわけがない!!」っていう違和感だったりは、この際置いておくし、まぁこれはこれでいいのかなとは思います。 

ただ、日々姫ルートだったりとか、ポーレットルートにも少しあったのですが、市長としての市政に携わる姿が「市議会の討論」ぐらいしかないのに、日々、市政と鉄道会社の兼務で重労働だ、疲労だったりが溜まって倒れるとか、そういう描写を持ってくるとか、部長がいきなり登場とか、いきなり市役所事情を持ち込まれると、そもそもポーレット、市長としての役割なんかやってたっけ、っていうのは何回も疑問に思いました。


こーしんりょー
市政やらにまったく興味がない私から見れ何かしら役割を背負って働いてる感はあるように感じたとフォローはしておきます。が、実際そこに近いところで働いている人には違和感が募るところなのかもなと。


nisetono
個人的な観点から言うと、そこらへんのリアリティレベルがなんとも微妙なんですよねこの作品。
最初から完全にSFで、ポーレットトも実は凄い有能でIQ500なんだが、じつはとってもトラウマに弱いの!っていう話なら、まだ理解しやすい。


メルトンさんが言ったような疑問って「いやそれはこういうファンた時だし」でスルーされるっていうか「あまり深く考える必要はない」じゃないですか。
でも、そこらへん、この作品はわりと「SF以外のところはリアリズムを踏んでいる」ように見えて、それはそれで評価すべきところなんだけど、上で指摘したような妙に「リアリティの取りこぼし」があり。

自分としては「どういう距離感を取ればいいのか?微妙にそのフィクションのリアリティレベルの距離感が図りにくいなぁ」というのが僕の印象ですね


こーしんりょー
そういう意味では、私は先程「実は変だよ『まいてつ』世界!」と茶化したりしましたが、それくらいは雑に、クリティカルな流行語を使うなら忖度しながら本作と付き合ってる感じはありますね。「こまけぇこたぁいいんだよ!!」で片付けているところがあまりに多いので、逆にそのスタンスにノッている。私としてはそこが本作の面白いところなんですよね。


nisetono
うーん、例えば「シーリング」みたいなところは、それで良いんですよね。


残響
今のこーしんりょーさんの愉しみ方で、クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」の世界観を思い出してしまったw


こーしんりょー
『キル・ビル』はビジュアル全体が「どこかおかしい」と感じる、タラちゃんのフェティッシュ全快の変態映画だからいいんだけど『まいてつ』はひと目見た感じではこの作品世界の「変さ」は伝わりにくそうで、そういう意味では私に近い楽しみ方をしている人はひょっとしたら少ないのかもしれないなとw

先の偽トノさんがエロスケあたりから引っ張ってきたツッコミで言う「市長が学生レベルなのがおかしい」みたいなのをプラスと捉えるかマイナスと捉えるか。もちろん、人によってその尺度は異なるわけですが、私の中で本作はプラス側かなと。この現実世界を踏まえたお話をしようとしているのに、その世界が実は荒唐無稽というトンチンカンなバランスが結構愛おしいし、その中で(特にポーレットルートは)私好みのお話を展開できているなあと。


nisetono
トンチンカンバランスがおかしいっていうなら、ぼくは「れいなルート」みたいな話だったら分かるんですよね。
さっきのシーリングもそうだけど、ああいうレイルロウドと何故か普通にエッチができる社会があって、それで普通に結婚できる社会があって、さらにはなんかポーレットも一夫多妻制を狙っていて、こういう「ちょっと変」な感じが、普通にリアリズムとして語られている、っていうのは面白いなぁと思うので、ぼくは「れいな」ルートに関しては結構評価できるんですよ。


でも、ポーレットルートそれ自体は、別にそれが悪いっていうわけではないけど、わりと普通の話ですよね。その「普通の話」たぶんこーしんさんが「割と好きそうな話」っていうのが「トンチンカンな世界観で語られているのがなんか面白い!」って話でしょうか。、


こーしんりょー
この作品世界がそもそもおかしい理由って、「鉄道をメインテーマとしてエロゲーを作ろう」という結構無茶な発想が根幹だと思うんですよね。映画『バトルシップ』の原作が「レーダー作戦ゲーム」というのと似たような無茶。だからリアリティ的に首をひねるところが出つつも、その発想から導出される「やりたいこと」に同調できれば結構ある個人には刺さる作品になると思うんですよ。実際『バトルシップ』が(主に日本の)好事家にウケているように。
で、今回のポーレットルートに関しては「鉄道」にこれっぽちも興味を持っていない僕でも、いわゆる主人公とヒロインの再会ストーリー(そのクライマックスが僕が絶賛する12話)というのに乗せられて、そのバックボーンにきちんと鉄道の影を見たわけです。モノとしての鉄道。点と点を繋げる鉄道。そしてノスタルジーを喚起させる鉄道……ちゃんと、この無茶な企画の中でやりたいことができてて、少なくとも僕には刺さる形に整っている。その過程でトンチンカンさも産んだけど、それも含めてやっぱり「愛おしい」なと。


「まいてつ」ポーレット編3「他人のAを他人のBはどこまで理解できるのかなと双鉄は言えなかった」」